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Pe-8 (航空機)[ぴーいー8]
ペトリャコフ Pe-8()は、第二次世界大戦中に戦闘に参加したソ連の唯一の戦略爆撃機である。 == 開発 == ソ連空軍は4発爆撃機としてTB-3を配備していたが、波板外板という旧式設計であり性能の陳腐化は著しかった。1934年には、ツポレフ設計局にTB-3の後継となり、高度8,000mで最高速度に達することができる高速の新型長距離爆撃機TB-7(ANT-42)の設計が指示された。ツポレフ設計局ではウラジミール・ペトリャコフを主任設計技師に設計を始め、1936年12月に試作機を完成させた。同年12月27日の初飛行も成功裏に終わり、主任設計技師の名を冠してPe-8と改称されたが、当時ソ連で最大馬力を発揮する航空エンジンであったミクーリンM105(1,100馬力)をもってしても、試作機の飛行性能は低く〔大内健二『忘れられた軍用機 知られざる第二次大戦傑作機』光人社 2004年 ISBN 4-7698-2424-6〕、空軍の期待を裏切るものであった。そこで、主機をミクーリン AM-34に換装し、エンジンへの過給機として、M-100を1基胴体に搭載するといった改良が試みられた。1939年になると、強力なAM-35A(1,350馬力)が実用段階に入り、このエンジンに再換装した状態で飛行試験が再開された。機体はなおも馬力不足であったが、性能向上が見られ要求性能は満たしたため、同年生産が始まった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Pe-8 (航空機)」の詳細全文を読む
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